ホンモノの
『人生』と『仕事』を
手に入れるために
「なぜ、仕事ごときで人生に苦しんでいるのか?」
人生も仕事も成功させる秘訣は、「努力」ではなく「選択」。その「選択」に必要な考え方や行動の方法をズバリ提言します。
【訃報】井崎貴富逝去のお知らせ
井崎貴富は令和3年2月3日に他界いたしました。
井崎は、最後の最後まで、井崎貴富らしく「幸せに生きる」をテーマに、人生・仕事を選択してきました。
ガンを患ってからも、「闘病することが目的ではない。俺らしく、楽しく明るく生きることが目的!」と宣言し、その言葉どおりに、毎日を過ごしました。
また、膵臓ガンが判明してからは、これまで以上に、セミナー・コンサルティング・その他の活動に精力的に取り組み、「仕事が嫌い。」と言い続けてきた井崎も、「俺、仕事好きなんじゃねーのか?ムカつく!」と口にしていました。
井崎には、「もっと伝えたい。もっと過ごしたい。もっと頼りにしてほしい。」という想いが塾生様にあり、これらは唯一の井崎の心残りだったでしょう。
ですが、これまでずっと自然体で、井崎貴富らしく生きることができたのか、最後の井崎の顔はとても幸せそうでした。
「おぉ。なかなか良い人生やったな〜。」という声が、聞こえてきそうなくらいに。
井崎がそんな人生を過ごせたのも、塾生様や顧問先様の存在がとても大きいです。
「先生に救われました。」とおっしゃる方も少なくないですが、それと同時に、井崎もその言葉を”生きがい”にして、楽しく仕事を続けてこられました。
これまで、井崎貴富を慕ってくれた皆さま、人によっては十数年にもなるお付き合いをして頂けたことに改めて感謝申し上げます。
井崎が最後まで幸せにいられるように、井崎を慕ってくださり、本当にありがとうございました。井崎も皆さまのことが大好きでした。
井崎の部屋
さて、ここからは皆さまも一度は興味を持ったことがあるはずの「井崎の部屋」へとご案内いたします。
井崎は日頃から、デスクに座りながら何かをすることが大好きでした。
朝の5時くらいに目を覚まし、顧問先や関係者にメールで連絡。その後は日経新聞を読みながら情報収集。それらをまとめて整理し、また書き換えてまとめる。ということを毎日のように繰り返していたようです。もちろん途中には、大好きな競馬研究も挟んで。
井崎夫人によれば、「自宅にいる時は、トイレと食事と入浴以外、デスクからずっと離れることがなかった。たまにマッサージチェアに座るくらいかな。」とのこと。
「仕事なんかクソ喰らえ!」と言いながら、毎晩、足がパンパンになるまで、デスクワークをする仕事魔が井崎貴富でした。
セミナーでの話からはハードワーカーな井崎は想像できませんが、井崎をよく知る人物からは、「先生ほど仕事をする人を今まで見たことがない。」という声が多数あがります。
これが井崎の書斎。リビングと繋がっている部屋です。
井崎はここでほとんどの時間を過ごしました。この書斎とリビングは、左に見えるスライド式の扉で区切れるようになっていますが、井崎がこの扉を閉めることはありませんでした。というのも、井崎は寂しがり屋で、一人でいることを嫌ったからです。
リビングに誰かがいることを確認できる環境が、最も安心でき、仕事がはかどったようです。ひとりっ子ならではの特徴ですね。
ちょっとここで雑談。
井崎と井崎夫人の間で、こんな会話があったそうです。
井崎夫人:「ちょっと出かけてくるね。」
井崎:「え?家におればいいやん。」
井崎夫人:「え?でも、買い物とか行きたいし、あなたは仕事してるし、別に私がいなくてもよくない?」
井崎:「じゃあ、仕事やめとく。」
井崎夫人:「え?!」
・
・
・
2分後、井崎は仕事を始める。
・
・
井崎夫人:「ねー。行ってきてもいい?」
井崎:「え?なんで?」
井崎夫人:「いや、買い物行きたいんよ。仕事してるし、大丈夫でしょ?」
井崎:「じゃあ、仕事やめとく。」
井崎夫人:「?!」
仕事はしたいけど、一人が嫌な井崎。セミナーでは、勇ましく檄を飛ばしていましたが、家では寂しがり屋で子供のような可愛らしい一面もありました。
井崎の書斎に戻りましょう。
井崎は何をする時もこの書斎でデスクに座って一日を過ごしました。
デスクの後ろには、ZOOMなどでのリモートセミナーの際に使用していたホワイトボード。
ホワイトボードに掛かっている左側の紫のフェルト布は、競馬の際に馬が付けるゼッケンです。
井崎が大病の末に復活した際、長年の塾生様より、「井崎貴富、大復活!黄金の息吹」という競馬レースをプレゼントして頂きました。その際に使用されたゼッケンも頂き、それを自慢げにホワイトボードに掛ける井崎は大喜びでした。
ホワイトボードの下にある色紙は、井崎が生前から大好きだった「熱男〜!」の松田選手(ソフトバンクホークス所属)のサイン。こちらも塾生様からのプレゼントです。
これは井崎の机です。それぞれ置く場所を決めていました。生前から言っていたように、整理整頓の意味を決め、その言葉どおりに実践していたようです。
左側にあるのは、3段式の書類ボックスでIKEAにて購入したもの。ここにも井崎が決めた順番で、諸々の資料を入れていたそうです。
その上にある縦型の木製ボックスには、顧問先用のノートを保管。顧問先ごとに、1冊ずつノートを作り、それぞれの企業がどこまで進んだのかを記していました。セミナーでは、「いい加減な井崎」を演じていましたが、実はキッチリしていたのです。
左上にあるのは水素吸引器で、これも長年付き合いのある塾生様からの頂き物。水素を吸いながらも、黙々と仕事に励んだそうです。
そして、水素吸引器の右横にあるのは、12インチのipad。ZOOMなどのリモートセミナーでは、これを使って実施しました。もちろん競馬の発注もこれで。
この写真は井崎のデスクワーク時を再現した様子。
上部にあるのは、B5サイズのバーティカル式の手帳。ここには日経新聞や経済誌などから収集した情報を毎日欠かさず、つぶさにメモし、時流とビジネス研究に励んでいました。
真ん中にあるのは、井崎愛用の黒の本革バインダー。A4の横書きレポート用紙を挟んで使用。レジュメを作成したり、得た情報をまとめて整理したりと、レポート用紙一冊の半分以上を一日で使っていたそうです。
カメとウサギの童話がありますが、ウサギのようにピョンピョンと前進し、カメのようにコツコツする、まるでカメとウサギの合体版のようです。
写真を拡大してみてください。井崎が生前に作成した手書きのレジュメが見えます。なかなか読みづらい文字でしょう。これらを解読できるようになって、事務局として一人前です。ちなみに、競馬の調子が良い時は、井崎の精神が安定し、解読しやすい文字になっていました。
右手には、大好きな競馬ブック。仕事をしながら、競馬新聞と競馬ブックも広げ、書斎のデスクからテレビを見て細かく競馬研究をしていました。
手書きのレジュメ上にあるのは、井崎がいつも使用していたボールペン。中身はパイロットのスーパーグリップ1.6mm。井崎は太めのボールペン芯が好きでした。これに本革のペンカバーを付けて、長年使い続けていました。
過去に、ペンカバーのキャップ部分を無くし、少し取り乱した井崎の姿から、とても大事にしていたことを思い出します。
ちなみに撮影の際、井崎がさっきまでそこにいたのかと思うくらいの再現ができて、大盛り上がりでした。
これは井崎の本棚。原理原則とこれからのビジネス時流を研究していたことがうかがえます。また、井崎は歴史が好きでした。
「歴史が分からないと未来は分からない。今や未来のことだけを学ぶ人が多いが、歴史を学ぶことが今と未来を正確に掴むコツ。遠回りに見えても、これが近道だ。」とのこと。
他にも科学も好きで、物理学が得意だったそう。経営に科学を入れろ!と生前から言ってきたように、井崎は特に理学系に興味津々だったようです。
これは井崎が収集してきたフクロウ達。井崎はフクロウが大好きでした。「不苦労」や「福来朗」などの字があてられる幸運を呼ぶ吉鳥だったからです。
さて、フクロウにあやかった、これまでの井崎の競馬結果は、いかほどだったのでしょうか。セミナーでいつも発表していた結果から考えると、、、「?」が浮かびます。
でも、これだけたくさんの方に見て頂ける井崎は十分に幸運を与えられましたから、さすがのフクロウも競馬の面倒までは見れないですね。
これは、井崎の教え子が作ったアウトレイジの写真です。
よく見てみてください。何の違和感もなく井崎が写り込んでいます。
毎年末にお願いしていた大掃除の業者さんが、「本当は仕事としてお家にお邪魔しているので、こんなことを言ってはいけないですが、この写真、何の違和感もないですね。もともと、そういう筋の人ですか?」とおっしゃていたようです。違います。安心してください。
数少ない井崎のお気に入りとなった写真の1つです。
これは、日本を代表するモノマネ芸で有名なコロッケさんとの写真。
コロッケさんの大きい顔のおかげで、井崎の顔も小さくうつっています。東京の塾生様より、ディナーショーをプレゼントされた後、特別に写真撮影をして頂いたそう。井崎は何度も「おもろかったな〜。」と思い出していました。
おもしろいことが大好きな井崎でしたので、大喜びだったと聞いております。
こちらは10年分の井崎の勉強用ノートを開いて撮影したもの。
B5サイズのバーティカル型の手帳に、毎日欠かさず、日経新聞や経済誌の情報を収集し、重要な項目を書き留めたり、記事を切り取って貼り付けたりしていました。これらをまとめて、毎月の時事解説や毎年恒例の政策提案セミナーにて、発表していたわけです。
中身をめくってみると、その情報量の多さとまとめ方に驚きます。すべてをお見せできないのが残念ですが、やはり積み重ねが大事だと思わされる、ひとコマです。
井崎はセミナーで言及しませんでしたが、身近な人には「自分との約束、つまり戒律を作って守り続けろ。それがリズムを作る1つの方法だ。」と教えてきました。井崎の自分自身との約束は、「一日も欠かさず、日経新聞の情報をこの手帳に書き留める」こと。
井崎は、トルソー症候群による脳卒中で倒れる2021年1月12日まで、毎日欠かさず、継続しました。
これが最後の写真となります。2021年スタート時に、井崎が手帳の1ページ目に書き留めた目標。
「癌に勝つより己に克て。」
「癌に勝つより家族と幸福せに。」
冒頭に説明したとおり、井崎は闘病してガンを克服するよりも、
・自分がどう幸せに生きるか。
・大切な家族とどう幸せに過ごすか。
こういった目的を持ちながら2021年を生き抜き、2022年度の政策提案セミナーもすると決めていました。
残念ながらその想いは叶いませんでしたが、皆さまにこの内容をお伝えするために、井崎は書き留めていたのかもしれません。
「どうでもいいことに悩んでないで、己の人生の目的を達成するために生きてみろ!俺はそうしてきた。最後の最後まで幸せだったなぁ。俺、凄かろうが〜。はははは!」
こんな井崎の声が、聞こえてきそうです。
「井崎の部屋」のご案内、いかがでしたでしょうか?
他にも、生前の井崎の写真や動画がたくさんございます。これらは、井崎貴富公式オンラインサロンにて、徐々に更新していく予定です。
また、公式オンラインサロン内では、井崎の学びを続けられるコンテンツも配信中です。他にも、井崎の教えを実践した門下生による学びを共有するグループなども準備中。
さらに、「井崎への報告」などを用意する予定です。
井崎は生前から、「報告は相手のためにするものではない。自分のためにするものだ。」と言っていました。報告することにより、自分の進捗が確認できたり、整理できたりすることで、自分の現在の位置を把握できる。そして、自己評価もアップするとのこと。
皆さまの会社成長や人生構築のために、ぜひ今後も井崎から学んでみてください。
「学びを止めるな!」
これが井崎が過日より言い続けてきたことです。
井崎貴富プロフィール
井崎塾チーフコンサルタント 兼 講師|株式会社REX’S代表
1972年 三菱系商社に入社。5年後同社退職。
大分県へUターン。多くのチェーンストア、経営者に影響を与えた、日本リテイリングセンター渥美俊一氏の率いるペガサスクラブにて、10年間にわたって各種セミナーを受講し、徹底的に経営の原理原則を学び続ける。その間、経営に携わった地元企業で業態転換を推進し、約8年間で100倍の規模へ導く。10年後、同社退職。(現在、当該企業は380億円に成長中)
1986年
中小企業の経営コンサルティング活動を開始。同時に、再開発コーディネーターとして国・県の都市開発に従事。 その後、中京、東京を中心に、アメリカ、アルゼンチン、その他多くのコンサルティング活動に従事。
2001年
地方中小企業の成長推進のための経営セミナー(『元気塾』および『革真塾』)を開始。豊富な渡米歴をベースに、論理性重視の『原理原則』論を展開。
2002年〜
福岡大学経済学部ベンチャー起業論の非常勤講師として毎年定期的に講義活動中。
2003年
福岡県『若手起業家育成塾』の常勤講師として2年間活動。
FFSの新業態開発。
〜2016年 定例の塾「革真塾」を全国各都市に拡大し、その間4社の上場に携わる。
2017年 時代の変化・時流に合わせた「井崎塾」を福岡に開講。オンラインやYouTubeでも活躍。
2019年 福岡大学経済学部ベンチャー起業論の学生や教授の阿比留正弘氏とともに「目高の学校」を開校。
2019年 「井崎塾」を東京・沖縄にて開講
2021年 2月3日に他界。71歳。